A2 SURF BLOG

日本と日本語が大好きな波乗り人

大好きな日本の食・旅・文化なんちゃってブログ

FC東京がJ1復帰とJ2優勝

J2ってそんなに甘くない、って知ってた。だって、1999年のシーズンを1年間見てたし。


1998年東京ガスフットボールクラブとしてJFLで優勝。
翌年、FC東京として、1999年J2に昇格し1年間を戦った。


あの時は、最終戦を待たずして、自力優勝が消滅、最終戦のひとつ前の試合、今でも絶対わすれない駒沢陸上での仙台戦、0−1で敗戦。


1999年のホーム最終戦だったこの試合。


試合終了後の大熊監督のあいさつの時、静まりかえるスタンドから一人の若い男がものすごい勢いでスタンド最前列に突進してきて、「バカヤロー!大熊!テメーのせいだ!!!!」とペットボトルを投げた。

その男こそ周りにいるサポーターに「さがれ!だまれ!」と罵声をあびせられ、警備員に連れていかれてたけど。。。。


この男の行動こそが、1999年終盤のチーム状態をあらわしてた。と思う。



でも、今回は、チームはその時とは比べ物にならないくらい、成長をしてた。
結果としてぶっちぎりの優勝。


うれしい、と言うよりもホッとしたのが正直なところ。




1999年の11月21日。新潟陸上競技場での試合、1999年のシーズン最終戦。

駒沢陸上の仙台戦敗戦の翌週だ。



自力優勝がなくなり、昇格圏外の3位に転落。
しかも、今まで一度も勝ったことがない苦手の新潟が相手。



車で5時間くらいかけて新潟まで応援に行った。



試合は、虎の子の1点を守って、新潟に1−0で勝利、あとは、大分の試合の結果次第。



寒いスタジアムに残ったまま、その結果をかたずをのんでまった。



試合中継(放送)がないから、映像もない状態。


たよりなのは、
見知らぬサポーターの友達が大分に見に行っているということで、現地からその友達の
携帯に入ってくる情報だけがたより。

みんなが、その人のところに集まってた、「どーなってる?どんな感じ?」


大分がリードしたまま、ロスタイムになっていると情報。


「あー、もう終わりだ」って誰もが思った。天を仰いだ。



と同時くらいに、大分が失点!同点になった!という情報。



静まり返ったスタンドに東京のサポーターが両手を合わせてみんな祈ってた。
泣いてる女の人たちもいた。



30分間が1時間にも2時間にも感じた。



引き分けで試合終了の情報!


それを聞いた俺たちは狂喜乱舞、ピッチの中になだれ込み、
だれそれかまわず、抱き合った。みんな泣いてた。


選手、スタッフも全員が控え室からピッチに「ウォー!」っと両手を挙げて走りこんできた。


みんなで、だきあって、胴上げして、叫んで、よろこんで、すごい状態になった。


俺も村林社長(当時)とガッチリ抱き合った。


反対側のアルビレックスサポーターも残っててくれて、スタンドの向こうで「おめでと!!」と声援を送ってくれてた。

(ピッチには入り込んではいけないルールなのに、文句も言わず、ありがたい。)


帰りはスタジアムのゲートを出ると、アルビサポが両側2列でならんで拍手とおめでとうの声をかけてくれた。「俺たちも来年J1に行くからまってろよー!」



その2列の間を東京のサポーターが、J1で待ってるよ!ありがとう!ありがとう!と声をかけながら通った。


帰り道でも青赤のユニフォームを着てるだけで、いろいろな人が、おめでとう!と声をかけてくれた。ガソリンスタンドの女性に、今から東京まで?気を付けて帰ってね。と声をかけてくれた。


新潟って本当にいいところだ、新潟の人って本当にいい人ばっかりだ。って強く感じた。





今回は、俺、残念ながら、鳥取には行けなかったけど、ツイッターとかを見てると、あの時の新潟で味わった感動と同じことをFC東京のサポーターのみんなはまた経験したようだ。


鳥取のサポーターや街の人たちも、こころからもてなして、そして祝福してくれたとのこと。



地域に根差した日本のサッカー文化、すばらしい。サッカー好きでよかった。ほんとによかった。



これだからやめらんない。